津波被災体験の続き

約15mの津波の高さで止まる。明治29年9,2m昭和8年7.7m遥かに高い。長洞下組ほぼ全壊、流失。ただ呆然とする。引き波が始まる,我われの本当の恐怖はこれからである、ものすごい勢いで引き波が始まる、今まで見たことのない島々がどんどん見えてくる轟音とともに、引き波のしぶきで周りが見えない、何処まで引いていくのか、(地元の名赤磯)の底が見えた。ピンク色だ、向こう側の半島の底が見えた、どこまで引いていくのか、1㎞引いても止まらない。遥か彼方の島(地方名みんぜん)今までちょっとしか見えない島が5つ見えてきた、2㎞位引いたと思う、すると。沖の方で海がどんどん高くなってきた、引き波が押し波を押していく、5m、10m。20m30m、50m、半島の山の高さに見えた,恐怖のあまり足がしくんでしまう、あの波の高さだと確実に、高台が飲まれる、もっと高いところに上がれ、もう後ろがない,木にでも上がれ。そんな危機感でした、結果私だけでした(後で笑われた)生きていたから笑える、その波は崩れ落ちて高台絵を越えることは有りませんでしたが。其の直後でした。反対側にいた人たちが大 声を上げた、後ろ側から波が来たぞ~、今度は広田湾(高田方面)からと長洞の方からの津波が ( アップルロード付近で水合いが出来る。高さ20mとか30mとか)合流して我々方に向かってくる,真っ黒い濁流です、今度は山が崩れる,下の方に下がれ、悲鳴が飛び交う、もう逃げれない、死んでも良いから動けない、山に孤立した我ら20人全員無事である。まだまだ続く被災体験次回

 

 

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津波被災体験の続き” への2件のコメント

  1. 村長の鬼気迫るブログ、すごい。次回待ってます。2キロ沖あたりまで海が引いて海底が見えた・・・なんて・・・・何とも言えない。

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