集会所

今元気村では移転地に集会所が必要か、議論になっている、当然の議論だと思う、維持管理が係るからです、長洞地区に新しい集会所も今年中に完成する予定だし、もう一つの集会所が必要ないとの意見と、せっかくだから活用を考えた方が良いとの意見がある、被災者達に維持管理する余力が本当に余力があるのか、?しかし私は思う本当に集会所が必要なのは高齢者と子供達ではないのか、?元気な人達はあまり感じていないと思うが、昨年、と今年高齢者達が1年に一回だけ集まる事があった、その時震災の後だからかも知れないが、再会を喜び涙ながらに話していたことを思い出します、私達の若い人達の(若いつもり)目線でなく、もっと違う目線も必要なのかもしれない、いずれ我々も年老いていく、高齢者でも歩いて行ける、施設が有ってもいいと思う      

いまの立派な介護施設より身近にいつでも集まれるところ必要な気がする、舌足らず?

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元気村始動

三月7日、元気村浜人義雄,若布作業本格始動、この一年の収入、2カ月に係って要る、体力勝負の浜仕事、がんばって浜人義雄、フレーフレー川原新屋、

今日はなでしこ達も朝の8時からパタパタ忙しそう、それもそのはず、今日は第1回目の大きな夢が詰まった、宝箱の発送日だそうだ、夕方3時から4時頃に発送らしい、テープカットで送ろうと思ったが、子供たちに叱られ、やめた、なでしこ工房予定地の地盤調査も始まり、一日も早い工房完成をめざし、バックアップして 上げなければ、

防災集団移転、被災地の買い取り金額も提示され、いよいよ私も頑張らなければ。

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50年前の長洞海岸

私の自宅があった前の海です、現在目の前の道路の高さから、2m位防潮堤が嵩上げになています、私が子供のころ道路からすぐ目の前が30m位砂浜と,小ざりの混じった海岸がつずいていました、砂浜で野球が出来る位の海岸でしたが、だんだん海岸の埋め立てや、潮の流れなどから,砂浜が無くなり震災前には堤防の真下まで海となりました、良く言われました、昔は長洞海岸は松の木が生え茂り景色が良かったらしい、おやじが言う昔は良かったな~て、私も言うのかな、昔は良かったな~て。

なでしこブログで投稿された海岸です、震災前はここが長洞最大の子供の遊び場でした、岩と岩の間に釣り糸を入れて,アイナメ,かだなぎ(方言)すえっこ等バンバン釣れました、ふのりの開口の時はサンダル履きで老人も、子供でもふのりが取れる所でしたが,やはり震災の影響で地盤沈下し1m位沈んだため今ではこんな状態です、100年たたら戻るのか、200年たたら戻るのか、もう一度戻ってほしいな~子供のころに。

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迷路の長洞被災地

現在、長洞被災地はまるで迷路みたいです、田んぼの復旧、道路の復旧、海の復旧工事、防防潮堤の調査の工事、右に曲が,。左に曲がれ,私でさえ分からなくなる、急げ急げの,現状復帰、これで終わらなければいいが不安です?

 

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春近し

私の新しい仮説工場の事務所に置いた梅のつぼみの中から一輪の花が咲いた。妻の実家でもイサダ漁も始まり、浜人義雄も若布作業場も完成し、もうすぐ刈取りが始まります、こんどは メカブが待ちどうしいな~、

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