今私の所に防災集団移転最終申込書が来ています、いよいよ決断しなければ成りません、被災地の買い取り金額も提示され、再建えの始まりです、2年経てもまだこれだけか?そんな思いをしながら、、、、、同じ長洞の土地に移転をするが、涙が出てしまう,親父に被災地を売らなければ成らない事えの、説明している時寂しそうな声で、仕方がないな~、て顔をしてたな~。私より思いが強いのだろうな、辛くてもずーと土地を守ってきたもんな~,おやじ申し訳ない、
月別アーカイブ: 2013年3月
集会所
今元気村では移転地に集会所が必要か、議論になっている、当然の議論だと思う、維持管理が係るからです、長洞地区に新しい集会所も今年中に完成する予定だし、もう一つの集会所が必要ないとの意見と、せっかくだから活用を考えた方が良いとの意見がある、被災者達に維持管理する余力が本当に余力があるのか、?しかし私は思う本当に集会所が必要なのは高齢者と子供達ではないのか、?元気な人達はあまり感じていないと思うが、昨年、と今年高齢者達が1年に一回だけ集まる事があった、その時震災の後だからかも知れないが、再会を喜び涙ながらに話していたことを思い出します、私達の若い人達の(若いつもり)目線でなく、もっと違う目線も必要なのかもしれない、いずれ我々も年老いていく、高齢者でも歩いて行ける、施設が有ってもいいと思う
いまの立派な介護施設より身近にいつでも集まれるところ必要な気がする、舌足らず?
元気村始動
満開
50年前の長洞海岸
私の自宅があった前の海です、現在目の前の道路の高さから、2m位防潮堤が嵩上げになています、私が子供のころ道路からすぐ目の前が30m位砂浜と,小ざりの混じった海岸がつずいていました、砂浜で野球が出来る位の海岸でしたが、だんだん海岸の埋め立てや、潮の流れなどから,砂浜が無くなり震災前には堤防の真下まで海となりました、良く言われました、昔は長洞海岸は松の木が生え茂り景色が良かったらしい、おやじが言う昔は良かったな~て、私も言うのかな、昔は良かったな~て。
なでしこブログで投稿された海岸です、震災前はここが長洞最大の子供の遊び場でした、岩と岩の間に釣り糸を入れて,アイナメ,かだなぎ(方言)すえっこ等バンバン釣れました、ふのりの開口の時はサンダル履きで老人も、子供でもふのりが取れる所でしたが,やはり震災の影響で地盤沈下し1m位沈んだため今ではこんな状態です、100年たたら戻るのか、200年たたら戻るのか、もう一度戻ってほしいな~子供のころに。