昨年中はいろいろ支援下さいおまして 本当に有難う御座いました、また新しい年が始まります、苦しい決断をしなければ成らない年でも有ると思いますが、元気村一丸と成って今年1年躍動の年にしたいと思います。
本年もよろしくお願いします。
盛岡市の秀吉10日会の皆さん今日本当にご苦労様でした、大好物のお餅美味しかったです、元気村浜人ブログのイベント係りは浜人義雄の担当、義男宜しく、
やっと帰った台風1号避難先から解放された私のパソコンブログ復帰です。
この前誠二とともに限界集落の事テレビで拝見しました、日本の中に素晴らしい人達が頑張っている姿拝見して感心して見ていました、今長洞元気村では誠二が日本各地で、新しい長洞を考えて飛び回っています、長洞しか知らない私にとっては誠二が頼りです、
私も少し頑張ろう、漁村広田には漁業権が誰でももらえる、2年住めば漁業の権利がもらえる、誰でももらえる、60歳で定年を迎えても第二の人生がある、海との暮らしである、暖かい気候、アワビも、ウニも何でも食べられる、山の幸も目の前にある、私は80歳過ぎてもアワビ漁に行くつもり、若い人たちは都会に行ってもいいだろう、帰るところ俺たち老人が守,あなた達のふるさと俺たちが守,誠二が言う好齢ビズネス頑張ろう、長洞元気村平均年齢80歳なろうとも気にしない、限界集落何するものぞ。
先日の津波注意報、気仙沼は警報、その時私と妻。5ケ月の孫と気仙沼で地震に遭遇する、結構長い揺れでした、気仙沼は津波警報、石巻1mの予想、サイレンがけたたましく、鳴り響く、高台へ避難せよとの呼び掛け、、気仙沼はいくらか土地勘があるが道が車でいっぱいで進めない、近くの信号でうまく脱出できたが、土地勘がなければ、怖い、車にガソリンを満タンにして長洞に帰りたいが多分国道が通行できないだろう、と思い気仙沼から峠を越えて高田市の矢作まで帰れたがそこからは高田への道は通行止、妻と2人なら待機しているのだが孫が一緒、腹が空いて泣いている、早く親元に帰らなけれと思い、矢作から横田に抜ける山道を教えられて来たが、その道はさあ大変、とんでもない道を来てしまった、後で義雄に言われた、普段車が通る道じゃないらしい、
時々長洞に来た人達に自分の被災体験など話す事があるが、やはり土地感のない場所での災害の遭遇は判断が非常に難しいと感じました、結果的に戻らなければならなくて多くの人たちが亡くなった事を思えば、今回の避難行動は元気村村長として反省の価値アリ。
仮説の皆さん受け入れご苦労様でした、さすが撫子隊、素早い行動感謝しています、
元気村村長