昭和三陸大津波の続き

2012/10/10 22:41 2012/10/10 22:41

昭和三陸大津波の続きです(^_^;長洞、地区の海辺には我が家を初め10軒程並んで建って居たそうです、我が家を除き全部流失したそうです、我が家の周りには1m50程の、杉の木で囲まれて居た為め流失を免れた様です、隣接する小友町只出地区は海岸近くの35戸が流失しほぼ壊滅に等しかった様です、私の家は被災した家を解体し今回被災した処にに住宅再建したようです。次回

aufblasbares zelt

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復興に加速

2012/10/ 7 17:02

浜人義雄は若芽加工場の復帰に向けて今日土台、柱の立て方が始まりました、[パンチ]金野さん、斎藤さん仲間の協力を頂いて頑張っています、私は見学です、母ちゃん為ならエンヤコラ(孫のひなた)の為ならエンヤコラサ頑張るぞ[パンチ]◇

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種糸そうじ

今日から2回目の、種糸そうじを始めました。台風が続けて通過したために去年よりも一週間ほど遅れましたが海水温度がかなり高いので、漁協職員からの意見も聞きながらの作業です。うねりを伴なって2メートルぐらいの波がありましたが、大事な作業なので組合員全員(個人作業)で頑張っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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昭和三陸大津波を親父に聞く

2012/10/ 5 22:03

明治三陸大津波で一度高台移転をしましたが、あまりの風の強さと漁業をやるため、再び元の処に戻ったそうです!?昭和8年3月桃の節句でその日は雪が2センチほど積もって居たそうです、朝方どーんと音がした後に揺れが来たがそんなに大きくなかったそうです、あまり地区の人達は津波の事は解らなかった様でぁる、祖父が浜仕事に行こうとしたら潮が引いている、こんな時は津波が来るから逃げろ、父親達は裸足で雪の中を親戚の家まで逃げたそうです。次回

 
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明治三陸大津波

2012/10/ 5 11:43

明治29年私の亡くなった祖父二歳の時である、たまたま節句で根崎地区に行って助かったが、家に残っていた父親、兄など家族全滅でした、その後養父を迎え親類、地区の人達に守られて私の家の屋号大長根を再建したそうです、私が小さい時から津波の恐ろしさを伝え、地区の人びとの思いを教え痴呆症になってからも、津波の恐怖は絶対忘れませんでした。次回

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