高台からの脱出

高台で辛うじて難を逃れた20人,間もなく大きな声がした、大丈夫か、みんな無事か、我々を心配して危険を顧みず安否確認に来た前川自治会長の声である。大丈夫、みんな無事だ安心してくれ

短い会話だた、みんな心配しているたから早く来いと言いながら戻って行った。しかし私達には問題が起きた、80歳過ぎの人達が8人もいる。私の両親もそこにいる、やっと歩ける程度であった。高台に残るか、津波の合間をぬって避難するか、迷う(想定の避難路は瓦礫で年寄りは歩けない)私と金野義男、斉藤和夫で相談する。ここで寒さを耐えて朝まで残るか、合間を見て渡るか、時間との戦いでした、結論は渡ろう、明るいうちに渡る事にした。3班に分かれて渡る事にした、一番歩きやすいとこ瓦礫撤去が始まる、(高台に居たら下に下がらない鉄則だた)私は3班で海の様子を見て義男に連絡、義男は先頭の斉藤さんに伝えて避難を始める、5分位のところ20分かかる、いよいよ私達が最後でに渡る、両親と愛犬と金野弘子が家から持ってきた毛布20枚くらい担いで避難である、いつまた来るか分からない津波との時間との闘いです、歩けない両親進まない、覚悟を決める、津波が来たら諦めよう、その様子を高田から帰ってきた妻が見ていたらしい、がんばれ、がんばれ、の思いだと思う、やっと着いた、斉藤さんらが迎えに来ていた。いち早く非難したみんなと日の出屋で合流しるも余震が続く目の前の道路が亀裂が入った、ここも危険だ会長が家に来い、みんなで前川会長のうちに避難を始める、余震が続く中。今日はここまで次回

Share on Facebook

津波被災体験の続き

約15mの津波の高さで止まる。明治29年9,2m昭和8年7.7m遥かに高い。長洞下組ほぼ全壊、流失。ただ呆然とする。引き波が始まる,我われの本当の恐怖はこれからである、ものすごい勢いで引き波が始まる、今まで見たことのない島々がどんどん見えてくる轟音とともに、引き波のしぶきで周りが見えない、何処まで引いていくのか、(地元の名赤磯)の底が見えた。ピンク色だ、向こう側の半島の底が見えた、どこまで引いていくのか、1㎞引いても止まらない。遥か彼方の島(地方名みんぜん)今までちょっとしか見えない島が5つ見えてきた、2㎞位引いたと思う、すると。沖の方で海がどんどん高くなってきた、引き波が押し波を押していく、5m、10m。20m30m、50m、半島の山の高さに見えた,恐怖のあまり足がしくんでしまう、あの波の高さだと確実に、高台が飲まれる、もっと高いところに上がれ、もう後ろがない,木にでも上がれ。そんな危機感でした、結果私だけでした(後で笑われた)生きていたから笑える、その波は崩れ落ちて高台絵を越えることは有りませんでしたが。其の直後でした。反対側にいた人たちが大 声を上げた、後ろ側から波が来たぞ~、今度は広田湾(高田方面)からと長洞の方からの津波が ( アップルロード付近で水合いが出来る。高さ20mとか30mとか)合流して我々方に向かってくる,真っ黒い濁流です、今度は山が崩れる,下の方に下がれ、悲鳴が飛び交う、もう逃げれない、死んでも良いから動けない、山に孤立した我ら20人全員無事である。まだまだ続く被災体験次回

 

 

Share on Facebook

もっと声を出せ

よその地区に行って聞いてみた、災害公営住宅のことです、意外と被災者たちは良く分からない様である。防災集団移転の事は少し分かる様でが、公営住宅に入居する人は考えていないようです,ほかの人まで考える余裕がないのか疑問です、元の地域にいたい、住みたいと思うのは誰でも同じだと思う、長洞が特別なのか、いや違うと思う、もっと声を出そう、市役所がやるから黙って居た方が良いと言う声が良く聞く、まだ間に合う、今からでも間に合う,出来て終わりじゃない,入居して終わりじゃない.そこからスタートするんだよ,被災者はみんな元の地区に戻りたい思っている、地区、地区に公営住宅を

 

 

Share on Facebook

私の被災体験

3月11日朝5時頃、仕事(建築板金業)に行く前に趣味のかご漁に行ってくるのが私の日課、その日も、いつもの様に漁に出ると、5キロ位のタコ1枚がかかっていた。7時頃、漁から帰ったが、その日は税金の申告で妻は高田に行かなければならない為、忙しい様である。タコはそのまま工場の脇に置いたままにして置く、(妻が帰ってきたら考えるだろう)10時頃仕事が空いたので床屋に行った、戻って午後2時過ぎである、工場で仕事の際中に地鳴りと共に揺れ始めた、またかと思いながら居ると、ちょっと大きい。震度5震度6は経験しているが、いつもと違う,少し長い、やっと治まったらまた来た気持ち悪い揺れである,とうとう来たか。そんな思いであった、すぐ側でゲイトボールをしていた10人程の人達も危機を感じて蜘蛛の子散らす様に退散していった、隣の義男の家族も、その辺の人達も集まってくる、今度は完全に津波が来るな~。避難始める。消防団がサイレンを鳴らしながら避難指示を出している、大津波警報です、地震から10分位だろう、高台に海の様子を見ながら避難を始める,家に居た両親を連れていつもの高台に向かう、私の周りの人達の避難場所は自宅後ろの海抜20m位の高台です。20人位集まってきた。20分位だと思うが海の海面が動き始める.来た。思ったほど水が引かない?二日前にも津波が来た。1m位だったから油断があった。津波が来た朝、明日も使う予定なので一番下に引いてあった船。、一番最初にその私の船が津波で二つに折れた、止まらない、海岸の船が全部流される、ものすごい勢いである、堤防を越えてきた。あっと言う間である。目の前の田んぼが満杯になる、堤防は6m位ある、下にある私の工場、義男の作業場等が流されて下のほうに来た、その直ぐ後だと思う。2波が来た2倍くらい高い、ものすごい勢いである,電柱が折れて・すごい音で折れる、私の本宅が流された,隣も流されていく、ただ呆然と見ているだけ、聞こえるのは悲鳴だけである、次回

 

 

Share on Facebook