まずは生き抜くこと。そして手をつなぐこと。


首都直下地震震度7へ防災計画見直しのニュースが流れる。「逃げろ。逃げろ。安全な場所へ逃げるしかないんだ。」ニュースを見ていた被災者がつぶやいた。天災はしかたない。その後の人災が何よりも怖いのだ。まずは生き抜くこと。そして手をつなぐこと。津波てんでんこはそういうことなんだと思う。

元気村班長会議。


元気村班長会議開催。なでしこの東京デビューの報告と只出漁港の防潮堤の高さについて話し合いました。「高さ20mの防潮バンクは高すぎないか。」「10m幅の海岸道路は必要だ。」etc。復興まちづくり研究所(仮設研)の提案を多くの村民に考えていただき、実りある議論をすすめたいと思います。

春、村民も動きだし。


パオを建てる土台の材料の準備もできました。円形寸法さえ分かれば次の作業も”バッチリ”です。囲炉裏・かまど。パオ活用の夢は膨らんできます。春の日差しの中海に畑に村民も動き出しています。「力合わせて寒さの冬を乗り越えたなぁ。」仮設暮らしの実感です。まわりの方々の支えが生きる力です。

漁は生き甲斐、やめるわけにはいかない。


ウニ漁の漁具を揃えるのに船以外に40~50万円は必要になる。「口開けがあっても経費分も稼げないべなぁ。」肩を落とす高齢の漁師、それでも漁具を揃えて漁に挑む気持ちでいっぱいだ。「漁をやめることは人をやめることだ。」と言う。赤字は覚悟の上、漁が生き甲斐である、やめるわけにはいかない。

ウニ漁に向けて始動。


ウニ漁の漁具の点検・準備、カッコ(サッパ)船の船外機が本日到着、息子と2人で設置作業。「かぎ有ったんだもんな。」漁船も漁具も流された漁師が声をかけてきた。漁具を作る道具(カンナ)を買いに行ったが在庫がなく帰ってきたと言う。ウニ漁(一つの夢)に向けて集落の高齢者も若者も動き始めた

浜が動き出す。ワクワクする!


桜の開花はまだですが日に日に温かくなってきました。久々に自分の時間を持てる週末です。6月あたりからウニ漁の解禁が行われるという情報が入りました。出漁の準備・漁具の確認が私の緊急課題です。地域復興には漁業(浜)が動き出すことが一番です。口開けがあると聞いただけでワクワクしてきます。

ウニ漁の漁場です。

ミサゴの営巣発見 頂上が巣です。

 

なでしこ、無事帰還。


「なでしこ」の方々が都会の絵の具に染まらずにそのまま元気に帰ってきました。復興市に手ごたえを感じたようです。「パオ」関係者の皆様に感謝です。「小商いをとおして人と人を繋ぎ地域を繋ぐ」安仲さんが言う息の長い支援と交流に向けて、また1歩前進です。今月末には長洞パオの建設予定です。

開かれた長洞元気村への第一歩。


東京での「長洞元気村なでしこ」の活躍が伝わってきます。本家長洞元気村の方は異常に静かな感じです。井上文さんともお話しできて何よりでした。一人では生きてゆけないのだから繋がって生きてゆく。今回のチャレンジは、人と人を繋ぐ「開かれた長洞元気村」への大きな第1歩になると思います。

長洞なでしこ、いざ東京へ。


長洞元気村なでしこの3名がいよいよ出発。東京の東中野の駅前「パオ」で午後1時から3時までワカメなどのPR活動。お天気が心配です。考えてばかりいても何も進みません。具体的に動いてみることが重要ですよね。チャレンジャーに不可能はない、なでしこのチャレンジを後押ししようと思います。

井上文さんと記念写真です

東中野駅前のパオビルです

 

語り継ぐ苦しみ。


レスキューストックヤード栗田さんから「被災体験談」女性の方の講演を依頼され、当たっていますが、難航しています。思い出したくない場面もあるし話したくないことも多いようです。語り部となって語り継ぐことも元気村の課題ですが、被災者の癒しの時間と想い起す時間の両立は難しいものがあります。