ITボランティアの方々と大船渡町の屋台村近くの居酒屋「がんばっぺし」に行ってきました。ビニールハウスを活用した居酒屋で元気のいい店主が桜模様の派手な魚河岸シャツで歓迎してくれます。飲み屋ではそれぞれいつもと違う話題で盛り上がっていました。震災以来の居酒屋に大満足の私でした。
被災から1年、天災が人災にならぬよう。
高台移転にかかわる危険区域指定と被災地の買取価格、地権者の意向は確認したものの移転予定地の山林の買取価格や造成後の分譲価格が決まっていない。資金計画ができない中で住宅再建を問われても答えようがない。被災から1年、政治・行政の遅れはあまりにもひどすぎる。天災ではなく人災ではないか。
この子の未来のために何ができるか。
ずいぶん暫くぶりに孫と過ごす。光り輝く瞳、プクプクとしたほっぺ、この子の未来のために何ができるのか。そう思う時が至福の時かもしれない。今日は小学校の卒業式、子どもの成長はもちろんだが、卒業生の親が成長したのかどうか、被災地域に生きる者として問われているような気がしてならない。保護者の謝辞の中にそんな言葉があった。避難所で苦労をしながら世話役をしていたリーダーである。考えること・実践すること・悩むこと、それが絆なのかもしれない。
津波注意報、心構えを新たに。
津波注意報にはびっくりです。幹線道路の通行止めなど心構えが試された注意報でした。元気村の集会所も避難所にして解放しました。昨晩はモビリアで明治大学や法政大学の教授・学生との懇親会もあり慌ただしかったのですが、注意報解除で盛り上がりました。
盛岡タイムスに記事が載りました。
盛岡タイムスの馬場記者から3月11日〈大震災から1年〉高台への集団移転目指す長洞元気村の記事が送られてきました。私が説明するよりも的確に長洞の様子を掲載しています。ネット配信もしているのでアクセスしてみてください。鎮魂・追悼の日からまた一歩踏み出そうと思います。
ここまで来た、ここまでしか来れなかった。
市長への要望書。
呪縛を解いて新しいものを。
のんびりできるかと思ったらそうは問屋が卸さないですよね。自由な時間は自分で獲得しなきゃだめですよ。なかなかそうはならないけど。縛っているのは上司でもなく同僚でもなく自分自身ですよ。呪縛を解離して新しいものを作っていくことが大事なんじゃないですか。行政システムもまさにそうです。
高台移転計画に向けての提言。
NHK週刊ニュース深読みのスタッフの方々が来村。高台移転にかかわる長洞元気村の取り組みを取材。今回は部落会役員も参加した高台移転協議会で移転計画に公共施設を要望するかどうかを話し合いました。手続き上の問題を含めていろんな意見が出され提言書の確認が行われました。
毎日新聞の記者さん「もっと早く来るべきだった」!
毎日新聞社の沢田記者が来村。黒崎仙峡温泉上がりでサバサバした髪、堀の深い顔立ちで、岩切画伯と元漁師の隣の爺さんと私の3人で一杯やっているところに入ってきた。話をしている中で「長洞元気村にもっと早く来るべきだった。」とつぶやいた記者。長洞での当たり前が世の中では違っているようだ。