いよいよ子どもたちがやって来る。集会所周辺の整理・受け入れ準備はしたものの、この暑さ・仮設住宅の狭さなど学習環境としては難問山積。仮設住宅の厳しい状況から子どもたちが何を学ぶかは子どもたち自身の問題。長洞元気村は熱烈大歓迎で子どもたちを預かり、できる範囲で対応するしかないかな。
案内板も設置しました
「スタディーツアー大歓迎」幟を揚げて気持ちを伝えます。「パオ」分かりますか。
心の交流詩「ふるさとケセン」にシリーズ広田(ピイロタ)の海を寄稿したのは15年ほど前である。記念に残しておいた13冊の冊子とパソコンデータは震災津波で流失してしまったのだが、その13冊が仮設住宅の玄関にご家内で生産したであろうコメ袋と一緒に並べて置いてあった。中嶋敬治氏である。
「かわいい子には旅させよ」ツアー(首都圏の小学生24名学生ボランティア10名その他14名総勢約50名)受け入れの打合わせ会、8/20~21の2日間の日程に合わせて語り部班・調理班など手際よく決めていく。同席していた森反教授も吃驚するほどの「なでしこ」の勢い。リオでは絶対金メダルだ
お盆休みも終わり仕事モードに切り替えなければならないのだが昨日の暑さでは無理だ。エアコンのない仕事場に向かうのは気が重い。予定表は出勤、仕事も溜まっているに違いない。だらけた自分にムチ打って行くしかないのだが、せめてこの気温、下がってくれないかな。今朝の天気は曇り湿度も高そう。
「陸前高田市の復興は大丈夫なのか。」「一本松をどうするこうする言っている場合じゃないのではないか。」お盆に帰省した方々からそんな指摘を受ける。陸前高田市の復興への動きが見えない。5mの嵩上げには一体何年かかるんだ。諦めるしかないのだろうか。旧市街地跡にいる動く七夕が何処か寂しい。
名物だった長洞集落の万灯篭は全て流されて無くなってしまった。各集落に灯る灯篭を見るとどうやって復活させようかと考えてしまう。先ずは生業と住宅再建、その後だな。これもゼロからの出発だ。何とかしないとな。砕け散った夢のかけらを一つひとつ拾い集めて紡いでいくのが復興なのかもしれない。
掛川から帰省した息子を加えて家族全員(6人)勢揃い遠野名物のジンギスカンを囲んだ。自然に発災直後のそれぞれの行動とその時々に得た情報の話になる。「広田半島生存者2名にはマイッタナ。」伝言ゲームのような情報収集、友人・同僚のフェイスブックでの安否確認、意外な人たちの活躍があった。