いよいよ子どもたちがやってくる!!


いよいよ子どもたちがやって来る。集会所周辺の整理・受け入れ準備はしたものの、この暑さ・仮設住宅の狭さなど学習環境としては難問山積。仮設住宅の厳しい状況から子どもたちが何を学ぶかは子どもたち自身の問題。長洞元気村は熱烈大歓迎で子どもたちを預かり、できる範囲で対応するしかないかな。

案内板も設置しました

「スタディーツアー大歓迎」幟を揚げて気持ちを伝えます。「パオ」分かりますか。

唐丹町小白浜の復興について


唐丹町小白浜地区の復興にかかわるシンポジウムがあるというので行って着た。NPO団体や支援者がすごく頑張っている様子は手に取るように分かったのだが、被災者がどうしようとしているのか全く伝わってこなかった。唐丹中学校に勤務したことがある私にはあの時の唐丹の方々のパワーは一体どこに行ったの?という思いだ。唐丹町の関係者の奮起とその様子の情報発信を心から願う。

講師の森反(東京経済大学)・薬袋(日本女子大学)・神田(東京大学)教授です。

長洞元気村を支援している森反教授です。

唐丹町小白浜の敷地通りに建てられた石碑「伝えつなぐ大津波」碑

心の交流詩「ふるさとケセン」


心の交流詩「ふるさとケセン」にシリーズ広田(ピイロタ)の海を寄稿したのは15年ほど前である。記念に残しておいた13冊の冊子とパソコンデータは震災津波で流失してしまったのだが、その13冊が仮設住宅の玄関にご家内で生産したであろうコメ袋と一緒に並べて置いてあった。中嶋敬治氏である。

「かわいい子には旅させよ」ツアー


「かわいい子には旅させよ」ツアー(首都圏の小学生24名学生ボランティア10名その他14名総勢約50名)受け入れの打合わせ会、8/20~21の2日間の日程に合わせて語り部班・調理班など手際よく決めていく。同席していた森反教授も吃驚するほどの「なでしこ」の勢い。リオでは絶対金メダルだ

お盆休みも終わり仕事が始まる・・・


お盆休みも終わり仕事モードに切り替えなければならないのだが昨日の暑さでは無理だ。エアコンのない仕事場に向かうのは気が重い。予定表は出勤、仕事も溜まっているに違いない。だらけた自分にムチ打って行くしかないのだが、せめてこの気温、下がってくれないかな。今朝の天気は曇り湿度も高そう。

「陸前高田市の復興は大丈夫か」


「陸前高田市の復興は大丈夫なのか。」「一本松をどうするこうする言っている場合じゃないのではないか。」お盆に帰省した方々からそんな指摘を受ける。陸前高田市の復興への動きが見えない。5mの嵩上げには一体何年かかるんだ。諦めるしかないのだろうか。旧市街地跡にいる動く七夕が何処か寂しい。

太田大念仏剣舞慰霊訪問


震災犠牲者の慰霊・追悼訪問に花巻市無形民俗文化財に指定されている太田大念仏剣舞保存会の方々が長洞部落会の念仏供養の時間に合わせてお越しいただいた。追悼や慰霊は言葉にすると軽薄に思えるが、踊りや楽曲にすると心に沁みわたる。お盆、無念の思いで無くなられた多くの御霊に安らぎと極楽浄土を願わずにいられない。あでやかな中に哀愁籠る念仏剣舞、御霊に合掌し保存会の皆さんに感謝である。

暑い中本当にありがとうございました。

復興を願う「カエルの絵」


幸せな生活に帰りたい・カエル。台湾でも同じ意味があるそうだ。そんな願いが込められた「蛙の絵」を頂いた。台湾の美術家で組織された被災地支援隊の皆さんが大槌町から石巻へ活動ベースを移す途中に立ち寄ってのことである。「移転先は決まりましたか。」と廖嘉展さん心配して4度目の来村、今回は奥様と長女・長男も一緒だ。目に見えない陸前高田市の復興状況に不安が募ると云う。長洞元気村の迎賓館「パオ」に案内し意見交換をしたが、その不安の払拭には至らなかった。

無事カエル。幸せな生活にカエル。復興を願う「カエルの絵」張家銘画伯

名物だった長洞集落の万灯篭、いつの日か。


名物だった長洞集落の万灯篭は全て流されて無くなってしまった。各集落に灯る灯篭を見るとどうやって復活させようかと考えてしまう。先ずは生業と住宅再建、その後だな。これもゼロからの出発だ。何とかしないとな。砕け散った夢のかけらを一つひとつ拾い集めて紡いでいくのが復興なのかもしれない。

掛川から帰省した息子たちと。


掛川から帰省した息子を加えて家族全員(6人)勢揃い遠野名物のジンギスカンを囲んだ。自然に発災直後のそれぞれの行動とその時々に得た情報の話になる。「広田半島生存者2名にはマイッタナ。」伝言ゲームのような情報収集、友人・同僚のフェイスブックでの安否確認、意外な人たちの活躍があった。