「陸前高田市の復興は大丈夫か」


「陸前高田市の復興は大丈夫なのか。」「一本松をどうするこうする言っている場合じゃないのではないか。」お盆に帰省した方々からそんな指摘を受ける。陸前高田市の復興への動きが見えない。5mの嵩上げには一体何年かかるんだ。諦めるしかないのだろうか。旧市街地跡にいる動く七夕が何処か寂しい。

太田大念仏剣舞慰霊訪問


震災犠牲者の慰霊・追悼訪問に花巻市無形民俗文化財に指定されている太田大念仏剣舞保存会の方々が長洞部落会の念仏供養の時間に合わせてお越しいただいた。追悼や慰霊は言葉にすると軽薄に思えるが、踊りや楽曲にすると心に沁みわたる。お盆、無念の思いで無くなられた多くの御霊に安らぎと極楽浄土を願わずにいられない。あでやかな中に哀愁籠る念仏剣舞、御霊に合掌し保存会の皆さんに感謝である。

暑い中本当にありがとうございました。

復興を願う「カエルの絵」


幸せな生活に帰りたい・カエル。台湾でも同じ意味があるそうだ。そんな願いが込められた「蛙の絵」を頂いた。台湾の美術家で組織された被災地支援隊の皆さんが大槌町から石巻へ活動ベースを移す途中に立ち寄ってのことである。「移転先は決まりましたか。」と廖嘉展さん心配して4度目の来村、今回は奥様と長女・長男も一緒だ。目に見えない陸前高田市の復興状況に不安が募ると云う。長洞元気村の迎賓館「パオ」に案内し意見交換をしたが、その不安の払拭には至らなかった。

無事カエル。幸せな生活にカエル。復興を願う「カエルの絵」張家銘画伯

名物だった長洞集落の万灯篭、いつの日か。


名物だった長洞集落の万灯篭は全て流されて無くなってしまった。各集落に灯る灯篭を見るとどうやって復活させようかと考えてしまう。先ずは生業と住宅再建、その後だな。これもゼロからの出発だ。何とかしないとな。砕け散った夢のかけらを一つひとつ拾い集めて紡いでいくのが復興なのかもしれない。

掛川から帰省した息子たちと。


掛川から帰省した息子を加えて家族全員(6人)勢揃い遠野名物のジンギスカンを囲んだ。自然に発災直後のそれぞれの行動とその時々に得た情報の話になる。「広田半島生存者2名にはマイッタナ。」伝言ゲームのような情報収集、友人・同僚のフェイスブックでの安否確認、意外な人たちの活躍があった。

「故郷の復興を担いたい」


「故郷の復興を担いたい。」と若い一家(4人)がこの夏、長洞元気村にやってきた。長洞に骨を埋める覚悟と云う。心から拍手だ。本日「笑顔の集まる盆市」が開催される。墓参り用の花々・蓮の葉や青りんご、先祖と繋がる伝統行事でなでしこ会を中心にした人と人が繋がっていく。自慢のゆべしも並ぶ。

なでしこ会準備中

復興対策局とのうちあわせ。


復興対策局から4名、村長・事務局長・復興まちづくり研究所の2名の合計8名で高台移転に関る打ち合わせ会が8/10夜行われた。地権者の意向や被災者の意向と長洞元気村からの要望を聞いていただける貴重な機会であった。復興方針には異論はあるが、市担当者の対応は吃驚するほど変わっていた。

教育現場での人のつながり。


キャリアリンクの若江社長の講演をおでってホールで聞いた。「ネットワーク型学校経営」を支える事務職員の役割。心地よい大阪弁が小中学校の課題を浮き彫りにしながらキャリア教育の本質に迫る。企業の社会的責任・コミュニケーション能力、そして人と人とのつながり。充実した教育で切り開いていく。

長洞元気村「笑顔の集まる盆市」案内

「なでしこ」のみなさん、「ゆべしづくり」に奮闘中。世田谷サースの方々からのコメントをいただいて俄然張り切っています。金メダルを狙う勢いです。

 

復興方針、思うようには進まず・・・


副市長・復興対策局・建設課との情報交換を済ませて復興まちづくり研究所の濱田さん原さんが来村。朗報ありやと期待したのですが現実は甘くないようです。陸前高田市は長洞元気村の嫌がる方嫌がる方に復興方針を向けてきます。本当に残念な思いです。被災住民の声に耳を傾けようとはしないようです。

岩切画伯から頂きました。

岐阜の後藤さん到着!


8/8朝気仙沼市を出発した後藤さんが無事昼過ぎに到着、宮脇さん差し入れの日本酒で乾杯。お疲れ様。そこに突然ソーシャルビジネスネットワーク大学の2人が加わる。ほろ酔い気分で語り合ったが、内閣府「復興支援型地域社会雇用創造事業」インキュベーションプログラムが私の手元に残された。真夏の夜の宿題!です。

8/9これから米埼町の仮設住宅に向けて走り出します。ー桜ラインの情報交換ー

二人で記念写真を撮りました。